2017-8-28

『家紋』のお話

Kyoto Design Factory | カテゴリー: 着物あれこれ

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写真は喜多川歌麿筆「寛政三美人」 寛政期に人気だった実在の3美人の浮世絵です。
右から吉原芸者の富本豊雛(とよひな)、難波屋おきた、高島おひさです。
当時の浮世絵は売り上げ枚数を増やすため、タブロイド紙的な大衆の興味を引く内容が中心になっていました。
この絵を見て気づくことは、どの顔も歌麿流に誇張され、髪型も区別がつかない程そっくりです。
右上に一応3人の名前は記されていますが、当時はまだ文盲の人も少なくない時代でした。
版元としては、売り上げ促進の為、当時の庶民に広く絵を見ただけで直ぐに、
どこの誰かを特定させる必要がありました。 そこで登場するのが家紋です。
それぞれの衣装や持ち物にさりげなく描かれた家紋が個人を特定する決め手となっているのです。
(因みに、三美人の名前の、富本、難波屋、高島は苗字ではなく屋号です。)
江戸時代になり、200年以上に渡る太平の世が続くと、武士の合戦における敵味方の区別のような
実用的な家紋の必要性が薄れ、 家紋は家柄や権威の象徴となっていきました。
さらに、階級社会があった江戸時代では、 家の格式を他人に示したり相手の身分を確認したりする
コミュニケーションツールとしての家紋の使われ方が主流になっていきました。
また江戸時代の階級制度の元では武家以外に苗字の公称が許されませんでしたが、
家紋を持つ事は規制されず、 一般庶民も広く所有することができました。
この為、農民、町人、そして役者・芸人・遊女などといった社会的には地位の低い階級の者までが、
自由に家紋を使い始めたのです。 その事が、江戸時代の家紋のデザインバリエーションを増やし、
今日の伝統文様としての価値を高めました。
そして元禄時代に入ると、人々の生活は更に華やかなものになっていき、家紋を持っていなかった町衆にも
家紋を必要とする機会が生まれ、 庶民が用いる家紋も華美・優美な形になり、豊富なデザインが生まれました。
特に、庶民に家紋が広がり始めてからセルフアイデンティティの表現の一つともなり、
儀式用のアイテムや衣装以外に装身具等の普段の持ち物にも 家紋を入れることが流行り、
『遊び心』や『粋』など、武家社会ではあり得なかったデザインコンセプトが登場してくるのです。